・・・・・ドイツ旅行・・・・ 

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高橋 久教授とのドイツ旅行                   

 

帝京大医局に入局して初めての国際学会の発表は、統一前のベルリンでの皮膚科の総会でした。私と高橋久教授は、フランクフルト空港から列車でハイデルベルグに向かい1泊し、再び列車でマインツへ、高速船に乗り換えライン下りをしてボンに着き、もうひとつの目的であるハンス教授に会うため、ボン大学の彼の研究室を訪問しました。その後、ケルンから列車でブレーメンへ、1泊し、飛行機でベルリンの学会に入りました。皮膚科の総会での発表、ハンス教授との面会、ドイツ観光と充実した楽しい旅行でした。

 ボン大学のHans-Georg Sahl教授と高橋久教授は、面識があった訳ではなく、当時、高橋久教授が、興味をお持ちだった塩基性蛋白の研究者は世界でも少なく、高橋久教授が手にされた文献にHans-Georg Sahl教授の名前を見つけられ手紙でコンタクトを取りお会いできました。面識が出来たおかげで、後に高橋久教授が主催された医真菌学会に御招待して、帝京大にて研究を2週間の間、手助けをしていただき、その御縁で後に私は、ボン大学のハンス教授のもとに、研究のために留学させていただきました。ドイツ滞在中には、コペンハ−ゲンでの学会で発表しました。同じ会場で、胃薬の作用は、実はピロリ菌に作用しているとの報告を、聞いて驚いたことを、鮮明に覚えています。

 さらに、夏休みには、マインツ、パリ、ニース、モナコ、ローマ、ソレント、カプリ、ベニス、フィレンツェ、ツェルマット、ヴェンゲンなどドイツからフランス、イタリア、スイスをまわる鉄道での小旅行が出来ました。一人娘は、この旅行中に授かったものです。ボンでの研究は、思ったような成果は得られませんでしたが、東西統一、ハンス教授の期限付教授から期限なし教授への昇進、ドイツのサッカーワルドカップイタリア大会優勝など、ありましたが、この中で最も盛り上がったのは、ドイツチームのサッカー優勝で普段静かなボンの街が、優勝の瞬間から火のついたように町中大騒ぎでした。研究室の仲間との交流、ハンス教授の友人家族との交流で、有意義に過ごせました。ボン滞在とヨ−ロッパの鉄道旅行で各都市の町並みの素晴らしさを肌で感じ取ることが出来ました。95年にはHans-Georg Sahl教授の友人で滞在中に親しくしていただいたピータ、99/9と02/10には、Hans-Georg Sahl教授の来日と旧交は、今も続いています。

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 世の中には、思っていることはすばらしいのだが、最初の出だしで躊躇してしまい次に進めないでいる人が多いように見受けられます。高橋久教授の場合は、立ち止らないで、どんどん切り開かれて積極的に進まれていくところがすばらしく、私も人生を有効にすごせるように見習いたいと思っています。

 高橋久教授は、まだまだお元気ですが、70歳になられ、H10年4月に退職されました。この機会に、私も高橋久教授流に、思い切って大学をやめて都筑区に引越して、開業することにしました。港北ニュータウンは、ドイツ学園、ドイツ系企業があり、町並みも少しヨ−ロッパと共通するところがあります。将来かなり洗練された町並みになる可能性を秘めていると思っています。実は、この街を最初に気に入ったのは妻と娘で、彼女の友人が、センター南に住んでいた縁で、私も一緒に友人宅を訪れたときにはいい街だと感じました。センター南で皮膚科クリニックを開業すること決め引越してきました。
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